変身―他一篇 (1958年) (岩波文庫)

一篇とはつまり断食芸人。

ある朝目覚めると青年ザムザは自分が1匹のばかでかい毒虫に変わっていることに気づいた。以下、虫けらに変身したザムザの生活過程が極めて即物的に描かれる。

毒虫に変わる話。薄い本。妹が萌えキャラ(ほんとかよ。
思ってたよりザムザはずっと毒虫だった。僕の脳内では王蟲だった。
妹が萌えキャラかは意見がわかれるかもしれない。でも、
「ああ気味の悪い毒虫。でもこれが今までお世話になった兄さんなのだわ、ちゃんとお世話しなきゃ・・・でも・・・くやしい・・・」
みたいな感じで僕は萌えられるから萌えキャラ。人生たのしいなー。
変身って有名だけどザムザが毒虫になる以外の内容はあまり語られないし、カフカってなんか小難しそうなイメージあるから、きっと深淵で抽象的な話が延々書かれてるに違いないと思って読んだら全くその真逆だった。というかストーリーなんてザムザが毒虫になる、はいお終いってだけだ、簡単にいえば。
文章はわかりやすくザムザの思考もクリアーで読んでいて楽しくはあるのだが、何故ザムザが毒虫になったのかは一切述べられない、というかザムザがその点について疑問を挟まない。実際だったら、あるいは僕が作者だとしたらどうしてこんな悲劇が突然起こったんだという原因とか過去へ向かっての怒り、苦悩とかをくどくどとめんどくさく叙述してしまいそうなものだけど、それがなく驚く。
まあでも、ザムザが毒虫になって家族の経済支柱から完全な厄介者へと身を堕としてついには死んでしまう、この構図が大事なのであって、むしろ毒虫になった原因なんかが述べられると当事象に汎用性が失われるデメリットがあるのかもしれない。"神が罰として"とか原因が下手にあるよりは原因なく起こる悲劇の方がずっと多く世の中に満ち満ちているわけなので。例えば一家を支えていた働き手が突然重病になってしまう、人種差別で突然収容所に連行されるとか。それは突き詰めれば原因があるのだろうけど、当人にはどうにも仕様のないというか。
ザムザは死に、対照的に妹はザムザの死によって開放されまた成長した女性として描かれる。断食芸人は死に、彼がいた見世物小屋には一頭の若い豹が入れられる。変身とはなにもザムザが毒虫になったことだけではないのかもしれないのかしらん。
沙耶の唄がやりたくなった。