この恋と、その未来。 -一年目 春-

恋は、心でするのだろうか?
それとも、体でするのだろうか?

 きつい姉三人と放蕩の父を持つ四郎が、そんな家庭環境から逃れるため、全寮制という条件に惹かれて東京から遠い広島にある高校に入学したところ、相部屋となったのは心が男で体が女性である性同一性障害の未来だった。女狂いと言われる未来に対し、女性を苦手としていた四郎だったが共同生活を送る内に未来への恋心を自覚するようになる。
 とても面白かった。
 この障害についてどの程度取材してあるのかわからないけど、未来と生活していく上での生じる四郎の戸惑いや沸き立つような気持ちは、とても納得できるものだった。
 「たいぎィ」という広島弁が出てきて、意味は面倒。実際、面倒なのだ。障害を抱えた人と生きるのは面倒なのだろう。哀しいほどこの社会は多数派の効率のいい用に都合のいいように作られてしまった。それは全体としてみるととんでもないプラスなのだろうけど、あまりにも当然のことになってしまって、右手で切符を改札に通す瞬間に左利きの人を虐げている自覚をいちいち感じる暇はない。そのバランスの取れる社会であってほしいと思う。