紫色のクオリア

あきらめる『あたし』は必要ない。だからあなたは、消えて」
PP236

生き物が「ロボット」に見える紫色の瞳を持つ少女毬井ゆかりとその同級生波濤学、その他の物語。
わかりやすく(わかりにくく)すると、沙耶の唄の匂坂 郁紀のような(火の鳥復活編のような)価値観を共有できない目を持つゆかりにとっては、人間などロボットの亜種の如きもので(人間はロボット同様慈しむものであり)、同じような(人を人と認識できない)目を持った殺人鬼に狙われてでも返り討ちにして玩具修理者のように殺人鬼をいじって出頭させ怪我をした学を治癒(手近にあった携帯を使って左腕を修理)したところまでが第一篇で、天才ゆえに目を付けられて外国の特殊機関へゆかりが転校となりそこで謎の死を遂げ、失意の学が左腕の携帯電話機能を使って量子力学的並行世界をマギカまどかのほむほむよろしくtry&errorで繰り返し、ついには万物の理論を手に入れ宇宙の観測者となることでゆかりの死なない世界を手に入れしかし、(その先はちょっと自分では理解しきれてない。)とりあえずここまで第二編、第三編はエピローグ

という訳で第一篇「毬井についてのエトセトラ」もおもしろいのですが肝は第二編の「1/1,000,000,000のキス」で先にゆかりの特殊性が語られたところで凡人たる語り部であったはずの学がどんどん壊れていきどんどん世界を壊していくさまは引き込まれる。SF知識を織りまぜての語り口もおもしろい。でもSFは小難しい理屈をこねるのがSFではないのだよな、SFなのにSFの部分をちゃんと理解しなくてもおもしろいというのはSFを冒涜して読んでるような気がするけど、まあそういう理論に綻びがないかは一部のしっかりした人が検証すればいいのであって僕のような適当な人間はテキトーに読んで面白かったで読んでそれ出会ってるのだからSFというのは不思議なジャンルだ。SF(すこし、ふしぎ)。二編のラストは頭が悪くてよく理解できなかったのですがネットで調べた限りだと、 最終的に取られた方法が、『自分の運命を変えられるは自分だけである』というあまりにもSF的ではない方法が取られたらしい。え、そんなおわりなのか。ほかには殺人鬼を返り討ちにしたときに出てきたゆかりの使役しているらしいロボットがそのまんまで伏線回収し忘れたような印象を受けてしまったのと、ゆかりの人となりがいまいち掴めなかったような(一篇で説明はされてはいるのがだが殺人鬼のあたりでその本性が表れてさらなる異常性が判明してから直ぐ死んでずっと学の話になって、最後にまた出てきたときにはなんかしらないゆかりのような感じがした。個人的な感じだけど)。まあ夢オチとか魔法少女とかマギカまどかが話題になっときもこの作品の名前がよく出ていて(だから気になって読んだのだけど)、これが原作でしたといわれれば納得しそうだしSFだから連想する所が出てくるのは当然と言われても納得する。SF、設定、は別にしてぜんぜん違う楽しさがあってとても面白かった。うえおさん悪魔のミカタ以来に読んだけど相変わらず面白いな。高校時代に好きだった作家がまたこうして面白い小説を書いてくれるのはすごく嬉しい。

紫色のクオリア (電撃文庫)

紫色のクオリア (電撃文庫)