夏への扉

 彼は、その人間用ドアの、少なくともどれか一つが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。これは、彼がこの欲求を起こす都度、ぼくが十一ヶ所のドアを一つずつ彼について回って、彼が納得するまでドアをあけておき、さらに次のドアを試みるという巡礼のたびを続けなければならぬことを意味する、そして一つ失望の重なるごとに、彼はぼくの天気管理の不手際さに咽喉を鳴らすのだった。P8
 
なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないのではないか。全く人間を信用しないでなにかをやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそのこと自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外のない死が待っているのだ。P266

冷凍睡眠とタイムスリップ、ロボットと人間、あるいは猫と恋の話。
記念にもらった猫のブックマークをつけて読んだけど、思ったほどネコネコしい話ではなかった。
名作らしい。そつなく愛着のもてる作品だったように思う。
SF小説らしいけどSFの部分はまるで児童文学を読んでるかの如くさらっと入ってきて、SF作品としてすごいというよりはSF的でかつ広いジャンルから見ても受け入れられる作品であるところがすごいんじゃないかと思った。SFの系譜を知ってるわけでもないし発行当時の人も児童文学の如くさらっと読めたかは分からないけどね。
恋人ごっこをしていた年の離れた未成年を冷凍睡眠の時間差を使って自分の年が変わらないまま彼女を成年させて娶るというのは、光源氏計画を彷彿ともすれど根本は彼女の意志に基づきそれが成年に達してなお揺るがなかったのであるのだから問題はない(むしろ自由を感じさせるもする)としても、彼女リッキィの女神さ、時を経ても幼さ残る固い愛というのはいまいち裏付け不足で都合の良さと受け入れられない部分を感じる。同時に、矛盾するようだが悪女ベルと対比されるリッキィのそういうあどけなさはこの作品の最も好きなところの一つでもあるのだけど。
主人公が肝となるSF的技術をつねに商業的、一般への普及の観点からみていたのも特筆すべき点なんだろうな。
  

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))