テレビジョン

Intermezzo さんにおススメいただいた第三弾。
前回読んだトゥーサンの"ためらい"に比べればずっと面白く読めた。
面白くというのは、いくら僕が日本現代小説の講義を大学で受けたことがあるといっても文学の読み方に精通しているわけではないので、もっと通俗的な意味で面白かった。具体的には、公園で全裸になって池に泳ぎに行こうとした所で奨学金パトロンと立ち話する所とか、頼まれたシダ植物の世話をテレビに夢中になって3週間も放置した挙句よれよれになったそれをショック療法と称して冷蔵庫に入れたあげるあたり、とかだ。
さて話は妻と子供がバカンスに行く何週間かの間ベルリンで一人過ごすことになった中年男性の話である。氏は小説が始まる時点で既に3週間ほどテレビに夢中になり昼夜と見続けた挙句、テレビを見るのをやめることを敢然と決意したらしい。
氏の思考は皮肉屋で伊集院光ばりにあけすけで、文章は甘美で流れるワインのようであり、後半急いで読んでしまったのはややもったいなかった。
テレビに熱中していたくせ(だからこそともいえるだろうが)、氏はテレビと言うものに攻撃的で、芸術は世界の理解と本質をつかむ活動であるのに対し、テレビは現実を表現するにしても技術的な決定論に流されたうっかり(P10)、でしかないという。これは僕からしたら間違いでテレビが技術的であろうがそれが芸術的な作品に昇華しうることは普通にあるだろうと思うが、まあしかしテレビの前に全く受身となり映像に対しいよいよ無関心になる精神(P20)という現象があるというの否定できない。
ハーレンゼー公園に寝そべりミュッセなど読みたいものです全裸で。
ポンピドーセンターのシステムすごい。

テレビでは決して何事も起こらないのだし、テレビを介していかなる大惨事や慶事に立ち会えたとしても、われわれ個人の暮らしに生ずる些細な出来事の方が、われわれにとってはいつだってより大事なものだからだ(P101)

つまりこのことがいいたいのだろう。フランス人はというかトゥーサンはというか、とても個人の権利を謳歌しているように思える。パートナーを大事にし身の回りの出来事を楽しんでいるように感じる。
しかしこの人は仕事しないな…"ためらい"でも主人公が仕事しないのが気になったけど……
 
さて、出典の怪しげな引用で申し訳ないが東南アジアの某国ではテレビを普及させてから明らかに犯罪率が上昇したそうである。テレビにより食卓の会話がなくなり家族関係が崩れ或いは風紀が乱れ犯罪が助長されたかは定かではないが、テレビに負の面があるというのは否定できないだろう。しかしそれでもテレビが撤去されないのはそれを補って余りあるプラスがあるということであり、それは民主主義に資するとかそういうものであろうと思う。

ウーヴェは立派に代表を務めている、彼の政党ではなくとも、少なくともわれわれの建物の代表と言う点で二人の意見が一致した。

ここで大事なのはわれわれの代表ということであろう。テレビに映るウーヴェではあるがそれはわれわれとつながりのある代表である。
ところで僕は飛行機に乗るエピソードが好きだ。そこだけキノの旅ばりの冒険小説っぽい。でもなんでこの話が構成上挟まってるのか謎だ。わからない。
 

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