よしきた、ジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

英国の国民的作家ウッドハウスの「ジーヴス物」から傑作を厳選したコレクション。ぐうたらでダメ男の若旦那バーティーと、とんち男の召使いジーヴスの名コンビが、オマヌケなビンゴたちと繰り広げる抱腹絶倒の人間喜劇。

パットとマイクという二人のアイルランド人が、ブロードウェイを歩いていました。一方がもうひとりに言いました。《ベゴラー。競争は足の速いもののためにあるわけじゃない》もうひとりが答えました。《フェイス・&・ベーゴップ。教育とは引き出すものだ、詰め込むものじゃあない》

まあ、面白かったのだが、微妙な読感だ。
読み始めてから気づいたけど、シリーズ2作目らしい。1作目から貸して欲しかった。
内容としては、主人公バーディとその執事が、親戚の家で巻き起こる、主に恋路を初めとする厄介事に挑むもの。執事は非情に有能で、かっこよく、素敵で、主人公はその主人であるはずなのに太陽に対する月のように思われていて、面白く思っていない。
読んでいて文章から全然古さは感じないのだけど、やはり書かれたのがかなり前らしく、封建制であったりきつめのイギリス社会であったりがみえる。主人公が執事に勝てないのもそのあたりなのだろう。現実が厳しい封建制であるからこそ、ダメな若旦那と有能な執事というのが話になるのだ。
ユーモアを楽しむ本らしいが、あまり笑えなかった。
翻訳というのもあるだろうし、当時のイギリス社会に精通してないというのもあるだろうし、そして一番の理由はダメな若旦那である所の主人公に感情移入しすぎたのだ。
主人公は厄介ごとを何とかしようと画策するも見事に裏目になってしまう道化、有能な執事の引き立て役、身分を笠に執事に命令する鼻につく貴族、、、ついには彼の滑稽さをコテにめでたしめでたしのハッピーエンドに結びつくわけだ。それで憎めない貴族キャラという、一般的なたち位置になるのだろうか。でもなんか、私には善意で頑張ってそれでもうまくいかない・報われない主人公がひたすら可哀想に思えてしまったし、感情移入しすぎて主人公の立場から執事に敵意さえ感じるほどだった。
道化で頑張り屋の主人公と鮮やかな解決屋の執事の関係性と役割について読み方が変わるかもしれない、シリーズ1作目を読んでみよう。

よしきた、ジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

よしきた、ジーヴス (ウッドハウス・コレクション)