孫子 (講談社文庫 か 1-1)

 初めての海音寺 潮五郎。読みやすかったし面白かった。
 全然内容を知らないまま読んだので、あった戦場と兵法についてづらづらと書かれているのかと思っていたが、実際は孫武と孫繽ふたりの人生の物語というか一般に語られる云々を立派な読み物にしか感じ、というかちゃんとした小説だった。
 読んでいてどの程度実際にあったことなのかと疑うところもあった。というのも物語上人の手柄を自分のものとしたり、ということが日常に行われているものだからこの物語自体孫武の名を高めるためにずいぶん脚色されているのも当然、という感じがしてくる。ということはその孫武の戦果に立脚した兵法の価値というものにも疑いがかかるが、まあその辺はその兵法を学びたい人が自分で判断すればいいことだろう。あるいは孫武なんて人は元からいなかったのかもしれないし、この本には兵法がそれそれとは出てこない。
 楽しめるのは孫子が生きた春秋戦国時代の雰囲気というものであるし、蛮勇をふるうのとは違うスマートな戦争の発見とその上の苦労だ。
 天命が戦の行方を支配し占いだけがそのよすがだった時代から、場当たりの対応に運命を託することを潔しとせず、必勝を得るため過去を分析し捨象して兵法を成したのはまさに転換点だったのだろうと思う。
 その割りに孫武もよく「そんな作戦は天が許さないだろう」とか言う。読んだ感じでは孫武の言う天とかこの小説に書かれる天というのは悪行を許さない世間の評価であるとか『世論』という言葉の言い換えであったりして、戦を左右する絶対者としての『天』とは異なるように思った。つまり方便で、その違いは敗戦のときに現れる。前者で負けは全て天に背き見放されたためであり、後者では天には背かなかったが戦術を過ったため負ける場合が出てくる。裏を返せば天に背いても戦術を誤らなければ勝利できる場合があるわけで、孫武もかなり汚い作戦を使っていた。結局孫武が天に遠慮して戦を控えるのは禍根を断つためとか君の不要な戦を控えさせるためであり、彼が最も拘る戦での勝利のためでは決してない。だか実際にはこの禍根であるとか不義のしがらみというものに戦場で戦略を練るよりもずっと彼は困らされるわけであるが。孫武は基本的に実務向きでなく理論家であった。
 あとは非常に政局・戦局がある特定人物の思惑に従い大きく動くという印象が強かった(もちろんその逆に思惑が全くどうにもならないという場面もあったが)。果たして現在はどうなのだろうか。政治はずっと透明になって、少なくとも私憤や私怨が排され孫子の重視したような策や能力のみを競っているように思えるが、見えない場所ではいまだこうした権謀が渦巻いてたりするのだろうか。
 こんなところか。
 なかなか面白かったから天と地とというのも縁があれば読んでみたい。


孫子 (講談社文庫 か 1-1)

孫子 (講談社文庫 か 1-1)