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凹む。すごく。

ネカマレズオンラインβ版

件のオンラインβ版が本日を持って終了です。本サービスは3月23日からで、一ヶ月1200円くらいらしい。わたしはやりませんが、興味のある方はどーぞ。学園という設定下で独特の授業とかラノベ的なドラマ?とか部活でのバトルとか、まぁ楽しめそうなコンテンツもある。でもやっぱ主は雑談とかなのかな。これも設定のおかげで知り合いをつくりやすいのかもしれないです。・・・人によるでしょうが。

以下、初めてオンラインゲーをまともに見た人の迷走する話。

 印象的だったのは、『こういうゲームをするのは現実のための練習なんですよ』と、たぶん素で言っている人がいたこと。そうか、この人はこのゲームを物語としてではなく、より自分の現実生活の延長としてみているのだな、と思った。


 いつだったかの『真剣十代〜』のオタクを話題とした回で、「ギャルゲーをするのは実体験のための予行練習としてなんだよ。だから全然おかしいことじゃないし、現実の人同士の触れ合いに戻ってくるまで見守ってあげるのがいいと思うの」みたいな説(うろ覚えですが)を主張する優等生っぽい女の子がいたことを思い出した。正直そりゃないよ、と思う。世の中にある小説はみんな現実のためのハウツー本だ、って言うのと同じくらい暴論じゃないかな。わたしはギャルゲー、サウンドのベルあるいは小説というものを身につまされる話としてみているわけじゃない。個人とは切り離された物語としてみている。現実のためにあるのではなく、人の心の内面を表現するような芸術性、社会というものを考える場としての作品もある。あるいは純粋に荒唐無稽な架空の物語を楽しむ作品もある。ギャルゲーにも文学があるといいたい。全部じゃないけど。全部じゃないが、そういった作品もあることは確か。もちろん、作品からのメッセージを受け取ってはいけないとか、そういう楽しみ方がダメだっていいたいわけではないです。でも、少なくともゲームは現実の予行演習とか言っている人間は眼球ファックとかが出てくるグロゲーを絶対やっちゃいけないんだろな。なんだか現実と非現実の混同が云々と問題にているまともそうな人に限って現実とゲームを混同している気がする。いや、これはわたしの偏見か。
で、冒頭の『ときめきネカマレズオンライン』の話に戻る。実はこの科白の前提として、こちら側、つまりプレーヤー(わたしではない)はネカマでお嬢様系の少女キャラで非現実の世界として楽しんでいる。あちら、はたぶん男の人が男のキャラとして、現実の予行演習として楽しんでいて(科白から察するに)、それでこちらも中の人が現実でも女だと信じて付きまとっている。オンラインゲームは、出来上がった作品とは違って人同士という点でより「現実の延長」度合いが高いし、オフ会かも開かれて直接現実に関わってくることもあるのだからあちら側のような楽しみ方をする人はかなりの割合でいるのだろう。一方非現実と割り切ってネカマとして楽しむ人もいたり。現実と非現実の衝突がおきているのだなぁと、感心したのでした、ちゃんちゃん。
 本当はこのあともう少し考えたこともあったのだけど、迷走どころでなく意味がわからないし、眠いし眠いので、略。