嘘つきアーニャの真っ赤な真実

内容紹介
1960年プラハ。マリ(著者)はソビエト学校で個性的な友達と先生に囲まれ刺激的な毎日を過ごしていた。30年後、東欧の激動で音信の途絶えた3人の親友を捜し当てたマリは、少女時代には知り得なかった真実に出会う!

「第三に、もしほんとうにターニャがそう思っているのなら、そのうち必ずガッカリしますよ」

 でもね、マリ、このすべてが、いつ破壊し尽くされてもおかしくないような状況に、私達は置かれているのよ。翻訳している最中も、本を読んでるときも、台所に立っているときも、ふとそのことで頭が一杯になるの。すると、振り払っても、恐ろしいイメージが次から次へと浮かんできて気が狂いそうになる。
 この戦争が始まって以来、そう、もう五年間、私は、家具を一つも買っていないの。食器も。コップの一つさえ買っていない。店で素敵なのを見つけて、買おうかなと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、こんなもの買っても破壊されたときに失う悲しみが増えるだけだ、っていう思いが被さってきて、買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。それよりも、明日にも一家皆殺しになってしまうかもしれないって。

 評判を見てKindleで買っていたが、積読していた。
 Audibleで朗読を聞いたらとんでもなく面白かったので、小説版でもちゃんと読んだ。
 この作品は、リッツァの夢見た青空、嘘つきアーニャの真っ赤な真実、白い都のヤスミンカの3篇からなり、ソビエト学校での少女時代と、大人になってから彼女たちを探して再開したときの2つの場面からそれぞれなる。
 この3篇で、私がダントツに好きなのは「白い都のヤスミンカ」で、表題作が「嘘つきアーニャの真っ赤の真実」なのはソビエト共産党の「赤」のイメージを優先したというだけで、そうでなければ表題作は「白い都の〜」になるべきだったろう。
 共産主義の、しかも複数国の子弟が集まるソビエト学校の、しかも多感な少女たちが、そこで何を感じたか。そしてその後の歴史の中で、どのように暮らしどうなったか。
 ここに記されているのは、その中のたった一例でしかないのに。ここまでドラマチックにあるいは残酷にあるのは、今ここで暮らす私にはとても想像できないことだった。もちろんこれは物語であるが、だからといってすべてが嘘とは思えないし、現代においても、シリアやISに蹂躙される街の様子をみれば、そんなドラマチックさや残酷さはこの世界にありふれたものなのだと言うこともわかる。
 おとぎの世界にいるような少女時代と、30年後の世界の落差がつらい。


嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)