おおかみこどもの雨と雪

 ニホンオオカミの最後の生き残りにして狼男の男と子を生したお母さん(名前忘れた)が二人のおおかみこどもを産んで生活していく話。
 作品じゃなくていきなり監督の話になって申し訳ないけど、細田守さんの作品は時かけもサマウォも思想、信条の面で納得しきれないところがあったけど(それを補って余りある圧倒的な良い点がある)、おおかみこどもはファンタジー童話児童文学(児童向けかは微妙なところだけど)として全然ありだと思う。ストーリーも、お父さんが意味分かんない感じで突然死んだり、田舎に行ったあと頑固なお爺さんが畑仕事教えてくれて「どうして大きな畑にしないといけないのかわかりました」と素晴らしい感じで打ち解けたのにその後その話が展開するわけでもなくお爺さんは出てこなくなったりする、ざっくりした感じが非常に良い。主題は雨と雪なんだねと馬鹿な僕でも納得する。
 これは人間社会を出ていかなくちゃいけなくなった絶望の話だとの評をちょっと見たけど、僕はそうは思わないな。映画を見ながらどうしてこの家族が出ていかなくちゃいけないんだろう、なんで虐待も悪いこともしてないのに管理人から動物を飼ってると疑われたり児童相談所の人間から詰問されなくちゃいけないんだろうと義憤を感じたし、人間やおおかみこどもやファンタジーの世界の住人が一緒に住む豊かで民主的な世界を夢想もしたけれど、実際は人間同士の社会でさえいじめたり自殺したり殺しあったりしてるわけでしょう。そんなところに、仲間に加わっても大丈夫ですよと無責任におおかみこどもを誘うことは僕にはできないし、人間社会は人間のための社会で、ファンタジーの世界の住人を受け入れられるとは残念ながら思えない。むしろ僕には、狼人間が人間社会にいるのが不自然であるように思う。その意味で、田舎の自然が近いところに引っ越したお母さんの決断は当然のものに思えるし、おおかみこどもに狼として生きるか人間として生きるかの選択肢を与えるには必要なことに思える(都会では自然がなくて雨は師匠と出会うことはできなかったでしょう)。
 雪の人間としての成長は立派であったし、雨も台風の日にお母さんを置いて行ったりして酷いと思ったけど、それが狼として生きるうえで当然のことなのであればそれは人間の僕からなにも言うことはできない。
 ただ一点申し述べたいとすると、お父さんが死んだ時、狼の姿だったため清掃業者の職員がゴミのように回収していったけど、その前には泣いてお父さんに駆け寄る花(お母さん、名前思い出した)がいたわけで、それを無視して回収していくのはあまりに酷いし事務手続き上問題ないのだろうか。あの大きさの鳥獣がならペットということが想定されるし、飼い主=所有者と思われる花が近くにいるのに、それを無視して回収するのは財産権の侵害当たる疑いがあるんじゃないのか。それとも清掃業者には公衆衛生上死んだ鳥獣は所有者の意向を無視して速やかに処理する強い権限が与えられてるんだろうか。
 あと映像が綺麗で本当に感動した。

劇場公開映画「おおかみこどもの雨と雪」オリジナル・サウンドトラック

劇場公開映画「おおかみこどもの雨と雪」オリジナル・サウンドトラック