以前、私は某掲示板系のゲーム実況に住んでいましたが、そこでも似たような思いをしたことがあります。
字幕つきのゲーム配信の主流から、声ありマイク配信主流への転換です。
背景としては、ブロードバンド環境の整備、安価な配信機材の普及が上げられると思います。
マイク配信に馴染めないものを感じました。
しかし、現在の配信のほとんどはお絵描き配信も含め、マイク配信がほとんどと言っていいでしょう。
していないと、リスナーの方から『マイクないの?』と必ず聞かれるほどです。需要も相当のものですね。
ところで、K・マンハイムは政治思想がイデオロギーとしてどのように機能するのかについて歴史的現実の対応から3つに分類しています。すなわち、思想が歴史的現実に先行するユートピア、思想と歴史的現実の間に大きなギャップのないアポロギー、歴史的現実の進行に対し思想が時間的に遅れている狭義のイデオロギー
今回の場合を考えると、マイク配信の増加という現実に対し、私の思想が遅れている、つまり狭義のイデオロギーと言えそうです。そしてこの狭義のイデオロギーは、一般に反動的保守的な働きをするといわれ、私は保守的な人間なのだろうと言う事ができます?
私のマイク配信への嫌悪感は思想と呼べるほど体系だったものなのでしょうか。現実の進行への反感は全て保守的とみなされるのでしょうか。K・マンハイムの理論との結びつきとの間に論理の飛躍がありますか。