楽園の知恵 -あるいはヒステリーの歴史
短編集なので何度かに分けて、1日1回がベストですが面倒なので続くか……
第一章診断、第一『いかにして夢を見るか』P7〜16
はるか高い天井から鎖で吊るされた人々の一人、春日さんが、どうして自分は『夢』を見ないのかについて考察する話。
筋書きは省略。
自分は生まれていなかった、という所に終局する。
一読しての疑問点は吊られている人々のなかで、夢を見ないのは春日さん一人であるのに、「私は、私たちは死んでいるのか」(P14抜粋)と全体化している点。夢を見ないのが春日さん一人、夢を見ないのは死んでいるからではないか(仮説)なら、死んでいるのは春日さん一人、でなければおかしい。また、まるで吊られた人々全員がこれから生まれる存在であるかのような描写もなされている。しかしそれならば「いつも頭上に蠅が飛んでいる新城君」他も夢を見ていないはずである。
これを解決するものとして私が考えたのは三点。
1.春日さん以外の人々は、夢を見ていないのに、見ていると嘘をついている。
2.夢を見ていない=生まれていない、とする公式が間違っている。
3.この世界こそが春日さんの見ている『夢』であり、「他の人々」も春日さんという特異者に内包されるから、「私たち」と全体化してもなんらおかしくない。
1については理論上の説であり本文からは読みとれない。
3については、初め私はこの説を支持していたが、監察官の言葉の取り扱いで少し自信が揺らいだ。なぜなら、「何故私は夢を見ない」という春日さんの問いに対して、「まだ生まれていないからだ」と監察官は答え、春日さんが『夢』を見ていないことを間接的に肯定しているように見えるからだ。春日さんが夢を見ていないなら、3説のこの世界は春日さんの見ている夢とする部分が否定される。監察官は結末へいたる重要なkeyであり、作中においても絶対的な立場であることから、その言葉に、嘘はないとすると、3説が生き残るには、監察官が肯定した夢を見ない春日さんとは、夢のなかにいる春日さんが夢を見ないことである、とするしかない。夢のなかにいる自分が夢を見るかについては昔から議論があるが、一般には「見ない」ということだったと思う。この点さえクリアできれば、この説は全体化については解決でき、描写については夢のなかであっても他者と認識する存在が登場し得ることから解決できる。以上から、根拠付けの弱さと、監察官の肯定に注意する余地はあるが、3説は優秀である。
2は、監察官が「春日さんが夢を見ていないこと」は間接的に肯定したとしても、「夢を見ていない=生まれていない」とする公式まで肯定したわけではない点に注目する。この説によれば、吊られている人々はやり、ここの生まれる前の存在であり、夢を見ていないのは春日さん一人だけであり、監察官は春日さんの論理展開が間違っているのを知りつつ「春日さんは生まれる前だ」という結論だけを与えたこととなる。しかしこの説では、春日さんが夢を見ず、新城は夢を見る説明とはなっても、「私は、私たちは死んでいるのか」と全体化した点の疑問は解消できない。
以上より、私が有力視するのは3>2>1であり、この物語は生まれる前の春日さんの見ている夢であると考える。
余談ですが、吊られているという点で西尾維新の小説を思い浮かべました。あっちが何をモチーフとしたのかは忘れましたが、こちらは間違いなく蛹とか繭でしょう。たぶん。
……読み返すと3説弱いな。そして題の問題提起にあんまり答えてないのも気になる……
楽園の知恵 -あるいはヒステリーの歴史 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
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