今日は

 知り合いの複数人が誕生日であるというオメデタイ日だったり、母の日でもあったし、wiiはじめてやったし、説明会であったりと大忙しでありましたが、こんな日が積み重なっていきますね。めでたしめでたし。あと30秒規制がウザすぎてる。何とかしてください。


 ところで、頑張ってという言葉が嫌いという風潮が数年前にあったように思います。要旨としては十分頑張ってるのに、よく知りもしない人たちは首を揃えてまた頑張れという、まるで永遠に努力し続けろと、呪いの様に聞こえると、そんな感じだったとキオクしています。
 今にしてみると「頑張れ」という言葉をやめようでもなく、嫌いだ、と自己主張するにとどまる中途半端な問題提起に感じますが、私のような全然頑張らない人間が、よく無責任に頑張ってと声をかけようとすると、いつもこの問題が頭を掠め躊躇して、頑張れの一言も自信を持って言えません。
 ではそんなに頑張ってという言葉は悪い言葉なのでしょうか。
 本来、頑張ってという言葉が呪いやマガゴトといった悪意から生まれるものでなく、善意から生まれるのが一般のはずです。しかし、どうして善意の言葉が悪意に捉えられてしまうのか。
 私が人に頑張れというときには以下の3つの理由があるように思います。
1.あなたが頑張った先の成功を願います。(将来への祈り
2.私はあなたを応援しています。(立場の表明
3.あなたの能力の向上と涵養を願います。
 場合などによるでしょうが、いま、私が思いつけたのはこの3つです。
 言葉自体の意味としては・あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。(goo辞書)なので3>1であり、言葉を発すことで2、となるでしょうか。しかし私が言うときの気持ちとしては、1>2>3であり、今困難に耐えて頑張れよと思う気持ちは実は少数であって、あなたを応援していますよという気持ちの方が大きいし、その気持ちよりも更にあなたの目指すことがかなうといいねと将来への祈りの気持ちの方が全く大きいです。
 というわけで、
 善意から頑張れという人は1>2>3なのに対し、
 頑張れといわれる人は言葉通りの3から理解するために悪意に感じるのではないかと仮説してみます。
 そこで、3が誤解を招くのなら「頑張れ」という言葉から3を引いた、1,2を表明する言葉は何か考えてみましょう。そうしたら頑張らない私のまま無責任に自信を持って応援の言葉をかけられるようになるかも知れません。
 将来への祈り+応援する立場の表明の言葉とは何か。
 私の貧弱な語彙をさらける(今知ったけどさらけるって方言なのか・・・?)にGOOD LUCK!!が近いんじゃないでしょうか。言葉の意味としては1の「幸福を」将来への期待だけですがそれを発することで2も満たすといえます。
 でもここで正気に戻って考えてみるとGOOD LUCKっていまいちです。まるでこれか戦場に行く人か人事を尽くした人にかける言葉です。気持ちの面では3は小さな要素でしかなかったですが、こうしてみると実は重要なのかもしれません。すなおに1,2を別々にいうのがいいのかも?


 「きっと目標を達成できるよ、私は応援してる」
とか
 「あなたは十分よくしていますよ。何かあったらいってください助けになりますから」
とか?



 でも正直頑張れが嫌いとかいうのは排他的で気持ちに余裕がないということだから、もっと気持ちがおおらかになるように頑張れよっていいたい。
 頑張りなさい。



追記:こんな素敵なURLがあったぞ!
・「頑張れ」という励まし言葉がありますが、この表現が嫌いです。
 http://q.hatena.ne.jp/1087446272