Einsteinと貨幣/論

 久しぶりに駄文を思いっきり書こうと思います。
 私たちはもっと無駄なことを精力的にい行うべきですよね。


 ・・・・・やる気がなくなった


 本当は、貨幣とかそういう話をしながらのらりくらりとなにやら綴っていくつもりだったのですよ。例えば、貨幣ほど非効率的なものはない。本当ならあるものとそれに応じたあるものを物々交換するのがもっとも効率的であって、今の社会ではあいだに貨幣という邪魔なうえ価値の上がり下がりする不安定なもの、しかも更におかしなことにはこの貨幣を作ること自体にも貨幣を使用しなければならない、を使用しなければいけません。つまり私たちは林檎を一つ買うにしても林檎の代金とそれを買うのに要する貨幣を製造するコストまで負担しなければならない。なんでだ! まったくこれは不効率だ! 不経済だ!
 みたいな、みたいなね。確かにいわれてみれば、そんな気が1ミリぐらいはしてくるものかもしれなくもなくもありません。
 少し調子が出てきました。
 しかしお金というのは厄介なものですね。みんなが持っていないと使うことができない、交換できない信用のないお金は誰も受け取ってはくれません。人生ゲームにはいっている子供銀行券をデパートで使うことはできません。しかし誰もが持ちすぎていても使うことができない。戦後の独逸みたいにリヤカーに山と詰まれた紙幣でやっとパンを一つ買えるお金を誰が信用するでしょう。399,000,000,000マルクのパンとか一度食べてみたいですが。
 せんせい! でも貨幣/地代段階の前は生産物/地代段階にしても、その前には更に労働地/代段階があるのでそっちの方が効率いいんじゃないですかっ、なんと交換すらしなくて済みますよっ。
 「なんと! あなたが神か!?」


 ああ、なんか話がすごい脱線した。
 アインシュタインが出てきてないし。おかしいな、初めは単に貨幣は非効率で物々交換の方がいいよ! じゃあアインシュタインの相/対性理論の原稿は物々交換の世界だとステーキの肉何枚分になるんだい、じょにー? みたいなアメリカンジョークな話になるはずだったのに。

 
 まぁいいや次だ、次の話だ。