吉永さん家のガーゴイル〈3〉

いつ行ってもお客がいない怪しいアンティーク屋「兎轄舎」のお姉さんに呼び出された双葉は、うま~く丸めこまれてトゲつきの奇妙なヘルメットを被ることに。それは試作段階の植物と喋れる機械「イーハトーブ式交換装置」だった!?故障で装置が脱げなくなってしまった双葉はおかげでご町内の笑いものに。心配するガーくんの気持ちをよそに、好奇心旺盛な双葉は装置を使い、新しい友達と出会うのだが、どうも様子が変!?


人と植物の異種族間の問題と、双葉にやさしさという感情が芽生える話、かな。
以下、疑問に感じた点。
・<イーハトーブ式交信装置は特殊なアンテナによって植物の声を拾う。鋭敏な超感覚で拾われた声はスピーカーで装着者に伝えられる。すると当然装着者の聴力も強化される>(P65)らしく、双葉は植物の声のみならずゴキブリの移動音さえも聞こえるようになるのだが、どうして聴力まで増すのかがわからないです。この装置は「植物の声を聴く」機能しかついていない説明なので、〈当然装着者の聴力も強化〉しているのは〈スピーカーで装着者に伝え〉の部分なのでしょうか? でも普通スピーカーとうして情報を伝えられたら、他のゴキブリの移動音なんて聞こえなくなるでしょうし。一応後に〈双葉の知識では知るべくもなかった〉とあるのですが、わたしの知識をもってしてもどうして〈当然〉なのかわかんないです。「当然」で済まされてる部分がわからないと悲しくなるよね>< ひぃー
・どうしてオシリスは戦闘中なんども復活するけど、GS美神の某おキヌちゃんを人身御供にして封印した植物の妖怪みたいに「分身」はしなかったんだろう。笛で復活を制限していたのと連動して、だろうか。いや、一つの植物上に複数の姿を作るだけだから笛で制御するアポトーシスとかは関係ないし。それともオシリスという植物種の特性だろうか。しかしあれだけ複数種の因子を抱え込んでおいて固有の特性もない。まぁ、紙面の都合か、分身したらガーくんが勝てなくなるってのが本当のところでしょうが。しかし、この小説は「人と植物は違うもの」という異種族間の隔絶を問題としながらも、あまりに植物が人間的過ぎる。本当は分身できるだろうにそこまで植物的な攻撃はしないとか、ハナ子の最後の独白の部分とか。植物が装置によって擬人化された状態であるハナ子が一人ぼっちで淋しかったというんですが、わたしは森の中で彼女が孤独を感じるとは思えない。森ほど生命力に溢れた場所はないだろうと思う。ましてその理由が、〈人や動物に避けられているから〉だとは。植物がそんな理由で淋しさを感じるのは、ほとんど、ありえないことだと思う。といっても作者がそうだと環境を設定したからにはそうなのだろう。でも植物の一機関である花がなくなることでハナ子にとっての死である、と地の文で書いてるのはハナ子を植物じゃなくて人間として扱っている。植物としての生はまだ続くのにハナ子としての生が終わるといいのは、結局歌が歌えなくなるだとかより日光を浴びるための形となって植物的な姿に変容するだとか、人間的な部分の死を意味している。悪いとかじゃないけど、異種族間の隔絶を序盤のテーマとしつつ本来植物であるハナ子に人間性を語らせるのはフェアじゃないな、と思った。
・そもそもエジプト人がガーくんに戦いを挑む必要性が感じられない。貴方はエジプトでオシリス育ててればいいのに。
・本文では「イーハトーブ式交信装置」となっているのにあらすじ、レビューでは「イーハトーブ式交換装置」となっている誤字の問題。
・・・・などとくだらないこと考えてたら、クライマックスで全然かんどーできなかった。しまった。ハナ子のかわいさはすばらしいです。なんだか某沙耶さんの面影さえ見出してかわいがってしまいました。・・・でもこの小説、嫌いじゃないけど好きにもなれないな。