土曜日

「いえ、関りはあるんですが―――これはお互いの領分の問題ですね。貴族は政治を主導し、神官は信仰を主導します。アルセイフでは、この両者が上手く協力しあっていますし、お互いの領分を認めているため、深く踏み込まない−−−結果、親しいながらも意外に無知、といった状況が生まれがちなんですね」
(「空ノ鐘の響く惑星で」〈9〉、口絵)

政治的無関心の評価
 平均的市民は政治に関心を持ったり、政治に参加することはあまりない。また政治的判断を行うための十分な情報や知識を持っていない。
 しかし、システムとして民主制は安定し、成長している。なぜかといえば制限された参加と政治的無関心が異質な構成を持つ政治社会においてはかえって不一致や変化などのショックを和らげ、全体としてシステムの安定のために、ポジティブな機能を果たすからである。
(「投票」)

 だからといって、民衆は政治的リーダーの言う事だけ聞いていればいいなんて欠片も思いませんけど。民衆が無知なのなら、その点が改善されていくような啓発を行えばいいんです。確かに無関心が評価できる場合もありますが、それはアルセイフの貴族と神官みたいな信用できるリーダーと安定期のデモクラシーとしてのようです。そう考えると今の世の中はリーダーが信用できなくて、しかも変動期のようですね。テレビでエナリ君が年金について語っているのを見て思いました。大学生としては見るべきなのかなぁ、とか思いながら眺めてましたが、どうしてああいう番組は存在の否定からして掛かるんですかね。官僚がダメだ官僚がダメだっていったてそんなことはみんな知ってるし、でもなくすこともできないだろうに。よりセンセーショナルだからでしょうか。妥協を知ればいいし、改善を知ればいいのに。タレントはより国民の味方みたいにして議員に噛み付いてましたけど、国民の代表という点ではタレントは文化的代表で、政治家は政治的代表で、テレビで見るとどっちもどっちにしか見えなかったんですけど。といってもわたしは途中でめちゃいけにチャンネルを代えたバカ学生ですけどねー。